こんにちは!実幸(みさき)です☆
ただ道楽で調べていた、日本神話、古代日本の真相。
ただ調べているだけだともったいない、
というより頭の中だけでは抱えきれなくなってきたので、
すこーしずつ書いていこうかと思います。
ただ、自分の備忘録の意味合いが強いので、
色々なところを端追ってありますので、ご了承ください。
木花咲耶姫といえば
富士山の浅間神社に祀られている神さま。
古事記などでは、
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が一目ぼれをするほど、
儚げで、非常に美しい見目を持つ一方、
瓊瓊杵尊に自分の子供ではないとの疑惑をかけられて、
「天津神の子なら火の中でも無事に生まれるはずです!!!」
と言って、戸のない産屋に自ら火を放ったりする、
気が強いというか、度胸があるというか、
強い軸を持った一面も描かれている神さまです。
(そこから火の神、安産の神としてお祀りしているところが
おおいようです)
古事記によれば、瓊瓊杵尊は天照大神の孫(皇孫)であり、
曾孫が神武天皇。
桜は日本の象徴のようなところもありますが、
その花を掲げる木花咲耶姫はまさに、
日本人のルーツそのものです。
木花はなぜ桜なのか
木花(このはな)は桜を指すと言われているのか。
時代背景的に、花と言ったら桜だから。
みたいな説もあるのですが、最近お気に入りのヲシテ文献のひとつ、
ホツマツタヱに面白い記述がありました。
こちらの方のHPが分かりやすかったので、
引用させていただきます。
(一)アシツ姫とニニキネの出会い、婚約
の段から木花咲耶姫と瓊瓊杵尊の出会いから
波乱の諸々について記載があります。
アシツ姫と言うのは、
木花咲耶姫の諱(いみな=本当の名前)のことです。
神阿多都比売、葦津姫と書いてあったり、
漢字はいろいろありますが、
どれも木花咲耶姫のことです。
誰かに謀られて、疑惑をかけられた咲耶姫は、
移動途中に置いていかれます。
後を追いかけるも、松坂までしかたどり着けず、
白子宮に戻り、誓いを立てます。
妬まれの 我が恥すすげ
この桜
昔 曽祖父
サクラウシ この木捧ぐ
大御神 大内に植えて
妹背の道 和る離るるを
計ります
桜 意あらば
我が孕み 他胤ならば
木 萎め 真胤ならば
生む時に 咲け」 と誓ひて
引用:
ざっくり要約すると、
「桜が咲けば、瓊瓊杵尊の子供、
しぼめば瓊瓊杵尊の子ではないでしょう」
と桜の木を咲耶姫は白子宮に植えます。
その後、3つ子が生まれたのですが、
瓊瓊杵尊に文を送ったのに返事がなかったり、
(それでやけになって?)小屋に火を放って心中しようとしたり。
諸々の波乱の末、確かに白子宮の桜の花は毎日咲いて、
花が絶えなかったことから、彼女は
「木花咲耶姫」
と呼ばれるようになった。
と記述があります。
古事記では、瓊瓊杵尊と出会った際に
咲耶姫自身が名乗ってしまいますが、
この話がそのままでないにしても
似たような経緯があったと思うと、
神阿多都比売
木花咲耶姫
この2つの全く異なる名が着いたのも
なんだか納得できるような気がします。
で、神阿多都比売という名前にも、
桜の意味においてもまだまだツッコミどころがあるのですが、
あんまりやってると訳が分からなくなってしまうので、
今回はこのあたりで!
最後までお読みいただきありがとうございます☆
愛をこめて♡