こんにちは、Misakiです。
8月になりましたが、実は5月の連休に、今年は初めて、復興支援の意味も込めて、石川県 能登 を訪れました。
今日はその話を。
【白比古神社】旅のスタートはここから
夜中に車を走らせ(というか、走ってもらい)、石川県七尾で仮眠を取って、頭がすっきりしたところで、いよいよ、能登の最北端を目指そう!というところで、カーナビに一つの神社が表示されました。
もともと予定はしていませんでしたが、なんだか少し気になって、立ち寄ることにしました。
村の小さな神社といった出で立ちで、静かなところでした。
鳥居をくぐって進むと、狛犬と社殿…ですが、片方の狛犬さんは台座から転げ落ちてしまっていて、その大地が大きく揺れたのだということを再認識しました。
神社敷地内に由緒書き等はなく、訪れた後、しばらくしてから神社の御祭神等について調べてびっくり。
なんと御祭神は、猿田彦さんでした。
旅の最初にぴったりな、お参りでした。
【白比古神社】
御祭神 猿田彦大神
住所 七尾市白浜町21-1
由緒
石川県神社庁HPによると、創建等についての記載はありませんが、延喜式神名帳には国弊小社、白比古神社と伝えられており、中頃石船明神また白髭明神と称されていたようですね。現在の管理は同じく七尾の伊夜比咩神社でされています。
その次は、旅の行程を決めるときに、なぜか表示された、菅忍比咩神社にお参りしました。
こちらは入り口からして、痛々しい状況になっていました。
鳥居はなぜか脚立とくくられていましたが、立ち入り禁止というよりは、脚立を固定するためのような雰囲気で、どなたにも止められなかったので、社殿のところまで行って、お参りさせていただきました。
素敵な参道です。
御手水なのか、一つ、すっかりつぶれてしまってました。
素敵なご本殿です。
【菅忍比咩神社】
御祭神 天忍穂耳命 天忍比咩命 栲幡千々姫命
住所 七尾市中島町笠師ソ236
由緒
こちらも、石川県神社庁HPによると、御祭神の千々姫命が御在世の際、当村内の菅ヶ谷におられ、菅を栽培し笠を編み、里人にその業を授けられたと申し伝えられており、民がこれを称えて創立した延喜式内社だと言い伝えられているようですね。能登島鰀目の菅忍比咩神社と神社名を争ったこともあり、現在能登島の神社を嶽神社と称しているんだとか。
神社名を争ったとはいささか気になりますね笑
御祭神の並びを見て???となったのは、真ん中の天忍比咩さんです。
栲幡千々姫命は、古事記では、たかみむすびさんの娘で、天忍穂耳との間に、天火明と邇邇芸命を生んでいる神様ですね。
天忍比咩ってだれ?と思ったら、先代旧事本紀や『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』(勘注系図)(籠神社(京都府宮津市)に伝わる海部氏系図(あまべしけいず)の1つ)に記載があるようですね(原文を確認しているわけではないので、訂正があれば教えてください)。
海部氏の系図では、天村雲を父、日向の俾良依姫命を母として、天忍人命、天忍男命だそうです。
また、愛媛にある、高忍日賣神社の神話にも登場していました。
こちらでは高忍日賣大神によって遣わされた産婆役であり、豊玉姫のお産をサポートして、日子波限建鵜葺草葺不合命が生まれたということですね。
ちなみに、名を争ったという、能登島の獄神社の御祭神は、天忍媛命に続いて、田心媛命、大国主命でした。
並び順は違うものの、夫婦と子供、の並びなんでしょうか。
謎が深まって考えるのが止まらないいい!笑
ので、まだまだ深堀したいですが、これ以上はまたいずれ、ということにしておきます。
神社の雰囲気としては、穏やかで落ち着いた感じのところでした。
神社の名前に「比咩」と掲げられているだけあって、女性性の柔らかい雰囲気でした。
以上、七尾編でした!
珠洲編、白山編も、出していく予定です!
Misaki