こんにちは!
最近、神社やお寺に行くとき、勝手にリトリートと称してお参りしている橘実幸です。
(だって、リトリートってした方がなんか楽しげではないですか?←)
理由はともかく、実際、神社やお寺にエネルギー交換をしに出掛けているので、
リトリートと呼ぶことに問題はないかなと思っています。
今回は、渋谷に行く機会があったので、渋谷駅周辺で2社ほど"ひとリトリート”
(単独って意味です(笑))してまいりました。
穏田神社<おんでんじんじゃ>
リトリートの感想
静かで路地の奥まったところにひっそりとある神社で、
ふとすると渋谷にいることを忘れてしまうような空間でした。
訪れた際はおやつ時だったせいか、訪問者はほとんどいませんでしたが、境内を見るととてもきれいに手入れされておりましたので、とても大事にされている神社だなという印象でした。
空気はとても澄んでいて、お参りしたときの感覚としては、水のような清らかさに包まれるようでした。
最近、お参りの際はハートチャクラのあたりから目醒めの磁場のような波が出ているのを想像しながら、チャネリングの訓練をしています。
ここでお参りしたときも同様に行ってみると、少し経ったのち、急にその波紋の広がりがぐんっと大きくなりました。
目醒めの磁場を私今放ってるかも~?と思いながら、次の目的地、宮益御嶽神社へ向かいました。
次の記事はこちら:
【神社リトリート シリーズ① 後編】穏田神社・宮益御嶽神社@渋谷・原宿
(今しばらくお待ちくださいませ)
穏田神社のアクセス
渋谷駅と原宿駅の真ん中あたり、細い路地の先にひっそりとある神社です。
渋谷駅、原宿駅ともに徒歩10分ほどです。
今回は渋谷側から向かったので、行きは少し上り坂でした。
住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-26-6
電話番号:03-3407-7036
FAX:03-3407-7080
例祭日:9月9日
ご由緒
創建年代は不詳ですが、天正18年(1590年)徳川家康が関東の領主となり、天正10年の「本能寺の変」に際して武功をたてた伊賀衆が、1591年(天正19年)穏田の地を給地与えられたことから、祭祀が盛んに行われるようになったという説があります。
なので、もしかすると、その前から神社自体は存在しており、この頃に栄えてきたのかもしれません。
明治維新の神仏分離の際、廃寺となり、社号を「隠田」から「穏田」に改め、穏田神社となったようです。
穏田神社の辺りは、元々隠田と呼ばれていた地域で、1965年に行われた町名変更により、隠田地区(渋谷区隠田1~3丁目)は、神宮前に組み込まれました。
(隠田は現神宮前1丁目、同4~6丁目)
隠田の地名については、
文字通りの「隠し田」(租税を取られないよう幕府に隠して耕作していた水田)からきているという説、
江戸時代以前に北條氏の家臣「恩田(おんだ)某」の領地だったからとする説、
家康は信頼していた伊賀忍者の一族郎党を、この辺りに住まわせたことから、忍者の隠れ里ということで『隠田』と呼ばれていたという説
などがあります。
御祭神
御祭神は天神第六代、つまり神代七代の六代目、淤母陀琉神(おもだるのかみ・男神)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ・女神)です。
とっても古くからいる神さまをお祀りしていたんですね。
清浄な気はそのせいかしら。
その後、1985年(明治18年)に穏田村84番地にあった熊野神社を合祀されたようです。(相殿の櫛御食野神(くしみけぬのみこと))
熊野神社は元広島藩主松平安藝守光晟公室自昌院が再建し たと伝えられています。
この神社では、ここに祀られている神さまは美容、技芸上達、縁結びの神として尊崇されています。
櫛御食野神(くしみけぬのみこと)は、実は素戔嗚尊だという説もありますよね。
記述によってまちまちで、真実はまだ謎ですが、私は最近素戔嗚尊と縁があるのか、御祭神に素戔嗚尊がいることが多いので、やっぱり同一なのか?と思ったり思わなかったり。
とても清々しい神社さんですので、渋谷・原宿方面へ出られた際にはぜひお参りくださいませ。
▼▼▼続きも読んでみたいと感じた方は
こちらから読者登録よろしくお願いします。▼▼▼
コメントもお気軽にどうぞ!