Number is a message.

数字は宇宙からのメッセージ。チャネリングとともにMISAKIの気付きをお伝えします。

分離の素晴らしさ

こんばんは!実幸(みさき)です☆

 

最近、しみじみと感じる、分離の素晴らしさについて、少しだけ。

 

 

 

ほんとーに最初の最初は

並木さんの話を聞いて、

 

統合 ⇔ 分離

 

という対比が存在していたんだ!

と認識しました。

最初は

 

隔たりが分離で、

 

一体感が統合で、

 

そんな曖昧な認識からスタートしました。

 

最初は、

 

分離することによって「問題」や「争い」が起こると思ったから、

 

統合していくこと、されていくことが良いことで、

素晴らしいことのような気がして、

 

なんで分離なんかしちゃったのよ、

「大変」をたくさんする羽目になっちゃったじゃない。

 

なんて、思ったりして。

それからしばらく、統合のワークをしたり、

分離の意識と統合の意識を見つめたりして、

しばらく経った頃、これを覚醒っていうのかわかりませんが、

意識の感度?があがりすぎた日がありました。

 

 

Step2、ただただ、感動する

 

統合の素晴らしさと、分離の素晴らしさに、

(語彙力!!笑)

ひとり、震えるほど感動して、

1日中部屋にこもって、水だけを飲んで、

わんわん泣いてました。

なぜ、感動したかというと…

 

 

分離力=認識力 だから。

 

私たちは、分離することで、

本当は自分だけれども、

 

別の個体として映し出すことによって、

「他人」という「自分」を見て、

 

客観的に観察することも感じることもできる。

 

そうして、自分の宇宙意識というのか、

「大きな自分」の素晴らしさをより深く知ることができます。

 

これは、分離することでしか得られない、

 

たいせつで、すばらしい

「現実」という世界のシステム。

 

だって、「ちいさな自分」は鏡を通してしか、

自らを見ることすらできないんです。

 

私は唄や絵などをこよなく愛していますが、

「他人」から生み出されたものも含めて、

 

自分が感動するもののすべては、

「大きな自分」の一部から生み出されたもの。

 

景色や音楽に感動するたびに、私の宇宙の中に

 

こんなに豊かで

素晴らしい一面が存在している。

 

…と現実を通して「大きな自分」を感じて、

震えるくらい感動するんです。

 

だから、分離できるということは、

認識できるようになることと

とても近しいものだと私は最近感じています。

 

先日、スティーブンの日本語のお話を聞きに行って、

母音を軸にした言語だからこそ、

虫の「声」を聴くことができる。

という話がありました。

 

確かに、日本語を主として扱っている人たちは、

虫の音も、風の音も、海の音も、雨や川の音も、

自然界に存在するありとあらゆるものの音を、

「聲(こえ)として認識できる。

(そういえば、ヨーロッパの英語は母音が強いんだったけ。

英はそういう意味でも似たところがあるんですね)

 

 

ということはつまり、

母音に主軸が置かれている言語を認識する脳というのは、

細かく細かく世界を分離させられる

=認識できるということで、

それは結局、

ちいさなちいさなことに対しても感動を抱ける

ということなんだと思うのです、

 

しかも、自然界にある音に対して、

「聲(こえ)という言葉をあてるというのは、

自然との一体感というか、

人間と人間でないものの境目が薄い印象も与えますよね。

 

きっと、そういうところが、短歌や俳句の精神に繋がっているのでしょうね🎐

 

 

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写真ACさまより

 

 

分離を通して、互いの素晴らしさに気付くきっかけになりましたら幸いです。

愛をこめて♡